追悼 2002年皐月賞覇者ノーリーズンの思い出【理由なき反抗とは言わないでくれ!】

  • 2024年5月16日
  • 競馬

5/7に死亡していたことが発表になったノーリーズン。25歳ということで長生きしてくれましたが、種牡馬引退後には福島の相馬野馬追にも参加するなどマルチな活躍をしてくれましたし、色々とインパクトを残してくれた馬でした。私もちょうど競馬を身始めた頃の馬なので印象に残っていますね。

ノーリーズン父ブライアンズタイム 母アンブロジン(母父Mr.Prospector)という血統のノースヒルズマネジメント生産馬。池江泰郎厩舎に所属していて3歳になった2002年にデビューして新馬→こぶし賞と連勝して臨んだ皐月賞トライアルの若葉Sでは2番人気に推されましたが7着に敗退。皐月賞では鞍上が短期免許で来日中のイギリス人騎手B.ドイル騎手に乗り替わり人気も15番人気と低評価でした。

ちなみにこの時の皐月賞は後にNHKマイルCを挟んでダービーを制覇するタニノギムレットが1番人気。4戦3勝2着1回の京成杯勝ち馬(同着)ローマンエンパイアが2番人気。エアグルーヴの半弟で3戦3勝のモノポライザーが3番人気。ベガの仔で前年の朝日杯FS勝ち馬、後にダートで大活躍のアドマイヤドンが4番人気。毎日杯、共同通信杯の勝ち馬チアズシュタルクが5番人気でした。個人的にはこの年の1月に初めてGallopを買ってその時はシンザン記念に出走するタニノギムレットが大きく取り上げられていた印象があります。今では考えられませんがこの時のタニノギムレットはこの時点でシンザン記念、アーリントンC、スプリングSと年明けの重賞を3勝しており1番人気になるのも納得の成績でした。

レースは内枠2番を引いたノーリーズンは内で最短経路を通り、人気の馬たちは後方寄りから外を回って追い上げるという展開。ノーリーズンは直線に入って早めに抜け出すと後続の人気馬はタニノギムレット以外は沈黙。2着にもデムーロ騎手騎乗の8番人気タイガーカフェが入り人気薄の外国人騎手の騎乗馬がワンツー。タニノギムレットは3着まで。単勝11,590円、馬連は53,090円と大荒れの結果に。当時は馬単や3連系の馬券がまだ導入されていなかったのでもし導入されていたらすごいことになっていたでしょうね。ちなみにタニノギムレットからアタマ差の4着のダイタクフラッグは13番人気、5着のメガスターダムに至っては16番人気だったので掲示板に2桁人気が3頭入っていて上位陣がほぼほぼ崩れてしまいました。ダイタクフラッグは貴重なナリタブライアン産駒で菊花賞のローエングリンとの大逃げが個人的には印象に残っていますし、メガスターダムは超堅実なタイプでクラシックは皐月賞5着→ダービー4着→菊花賞3着と順位を上げました。しかも父が短距離王ニホンピロウイナーというのがこの血統の謎です。

フジテレビの実況で「理由なき犯行とは言わないでくれノーリーズン」というフレーズが出たのをよく覚えています。

その後ノーリーズンはダービーに蛯名騎手で出走するも8着。秋は神戸新聞杯から始動してシンボリクリスエスの2着となり、2冠目を目指して菊花賞に出走します。タニノギムレットが引退し、シンボリクリスエスも天皇賞・秋を目指すということで菊花賞を回避したことで押し出されるように皐月賞馬のノーリーズンが1番人気で出走。単勝オッズ2.5倍の支持を集めましたが、スタート直後に紙屑になったのは有名な話。武豊騎手が落馬してしまい競走中止。このインパクトが強すぎて皐月賞が霞んでしまっているのが個人的には残念でなりません。皐月賞のタイム1.58:5は当時の皐月賞レコードでナリタブライアンの持っていた記録を0.5秒も更新しましたからね。

その後は2度の屈腱炎などもあり勝利を挙げることはできませんでしたが、優駿SSで種牡馬入り。しかしながら目立った活躍馬を出すことができずに2010年に用途変更となり福島へ。2011年の東日本大震災で被災しますが生き延びて野馬追に参加するなど余生でも競馬ファンを楽しませてくれた馬でした。1度でいいから見てみたかったですね。

25歳ということでサラブレッドとしては長生きしてくれました。

2001年の秋からしっかりと競馬を見始めた私からすると初めてリアルタイムで見た皐月賞馬がノーリーズンでした。あのノースヒルズ、前田オーナーの赤と水色の勝負服を見るとワクワクさせてくれるのはこの馬のお陰ですね。

きっと天国で自由に駆け回ってくれていると思います。

R.I.P


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